観念のカセを外せば自由になれる

新興宗教と呼ばれる多くは「観念のカセ」を作って
それを信者にはめ込んで支配するようなやり方をしています。
全部は間違ってはいないのでふんふんと聞いていると、
どこかで、観念のカセをはめられてしまいます。これも一種の催眠です。

観念のカセというのは、頭にカセがはまるように、思考を縛ります。
宗教に偏ってなくても、読書などで自分で偏った勉強をしたために、
同じような状態になってしまうこともしばしばあります。

あるいは成長過程でのトラウマがカセになることもあります。
例えば「人間は生まれながらの罪人だ悪人だ」と性悪説のカセをはめてしまうと、
何でもその眼鏡のフィルターを通じて見る癖がついてしまうのです。

実際には、そうともいえるし、そうではないともいえるのですが、
一方向の見方だけしかできなくなるのです。
すると自分の思考がそこで縛られてしまいます。
これが観念のカセの怖いところです。

あまり意識しすぎると何も信じられない優柔不断な状態になるので、
いけませんが、自分が行き詰っている時などには、
一歩下がって、自分が果たして観念のカセにとらわれていないか顧みることは大切です。

案外、思い込みが間違った方向にかけられていることも多いものです。
それを素直に見つめると、行動が自由になります。
これが観念のカセを外せば自由になれるという意味です。

禅が追求しているのは、この観念のカセを完全に消滅させることです。
仏にあっては仏を殺し…などという禅の言葉もここから来ています。
マインドフルネス(気づき)などの心理療法に禅が高い親和性を持ち、
活用されるのもこうした理由からです。

自分のもつ観念のカセを外すということに積極的になってみませんか?
瞑想や座禅はそれを助けてくれることでしょう。
私はこれに「祈り(意を乗せる)」という要素も加えています。

前世療法を受けて、魂のガイドさん(守護霊)に対面できた方には、
祈りによって内的世界と交流することに実感をもってもらえるので
説明がしやすいのですが、未経験の方は難しいので、
瞑想として理解してもらっても良いです。

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