人は魂を磨くために生まれ変わる

人生の目的

人間は魂を磨くために生まれ変わり死に変わりしている。
魂を磨くとは、完全円満な理想的人格をめざすこと、
そして多芸多才の万能自在な人をめざすこと、

この二つの局面で向上していくことが万人における、
共通の天命であり、ほんとうの生きる目的です。
と、申し上げると、

そんな高尚なことはわからない。そんなことよりも
今、病気を治したい。今、家族関係を改善したい。
今、お金がほしい。今、悩みから解放されたい。

そのようにおっしゃる人が多いです。
これは無理もないことなのです。それでも、
その思考法ではいつまでも悩みから脱出できません。

ところで、魂を磨くというのは終わりがない目標です。
完全円満な人格をめざすのに完成地点はありません。
万能自在になるのにも完成地点はありません。

つまり、終わりのない永遠の目標にむかって、
はてしなくチャレンジし続けている状態が私たちの
基本設定なのです。

道元禅師(鎌倉時代、福井県に永平寺を開かれた禅師)は、
「修証一如 (しゅしょういちにょ)」と教えています。

修(仏になるための修行)と
証(仏であるという証)は、一如(同じ)だというのです。

「これから修行して仏性を得るのではない。
いま、すでに仏性があるからこそ修行することができるのだ」

「修行することができるというそのことが、
いま、すでに仏であることの証(あかし)だ」

という、非常に深い意味なのですが、
刻々に磨いていくその生き方の中に、
私たちの中にある神様が発動されているのだということです。

これが「普遍的宗教的人生観」です。
ですから、前向きなチャレンジに終わりはないし、
進歩向上に終わりはありません。

その途中経過そのものが天国であり、歓喜であり、
幸福の真っ只中であるということなのです。

結婚できる、病気がなおる、収入が増える、
入学できる、家庭円満になる、こういうものはすべて
ゴールがある目標です。

ゴールがある目標しかない人は、もし、それが
いつまでも成就しなかったら、心がくじけます。
あるいは実現できないのだとわかったら、心が萎えます。

信念に生きる人の最大の問題点はそこなのです。
信念ではなく、信仰(普遍的宗教的人生観)に生きる人は、
いつでも明るく前向きです。

なぜなら、途中で野たれ死にしようが、
途中で命がつきようが、いっさい関係ないからです。

とりあえずの目標(ゴールのある目標)を立てて、
そこに努力はしますが、
その背後には、永遠の目標(魂を磨く)があるのです。

この状態になると、人間はもっとも強いのです。
なぜなら、本人の魂が発動して輝き、潜在意識が
フルパワーになるので自力が最大レベルに出るし、

同時に、神仏の加護が正しい生き方であるがゆえに
さずかるので天佑神助が現れてくるからです。

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